世界が不自由になっても僕は何一つ変わらず自由に書いている
パソコンとインターネット環境があれば仕事が完結するため
僕はたいてい相棒のデルのノートパソコンを片手に自宅やカフェで仕事をしている。
以前は行政書士として京都駅前にオフィスを借りていたが、
外でお客さんと会ったり、外で仕事することが多くなって
無駄な経費になり、レンタルオフィスに変えることにした。
レンタルオフィスにしてずいぶんと月の固定費は安くなったが、
私はそこから代筆屋という文章を考案する仕事に切り替え、
どんどん自由な仕事スタイルになってレンタルオフィスもほとんど利用しなくなった。
レンタルオフィスとはいえ年間にすると20万~30万円になる。
これも無駄だし垂れ流しをもうやめようと
レンタルオフィスすら持たなくなった。
いわゆるノマドワーカーの最たる例が私のようなフリーランスの物書きだと思う。
特に私の場合は、2019年から始まったコロナの影響もあってか、
2020年の去年、直接会ったお客さんはなんと二人だけだ。
それでも問題なく仕事をこなし、年々収入が増えています。
いわゆる完全リモートワークで、人と会わなくて済むのは今の世間の流れにあっている。
やり取りはメール、考案業務はノートかパソコン、納品も電子データのため、
プリンターや紙すらいらなくなった。
どんどん手放していくと効率化が図れるし、
世界が不自由になっても変わらず自由に仕事ができるようになる。
必要だと思っていたオフィスや人件費やプリンターや紙やインクやその他もろもろは
実はほとんどが必要ではなくて、
固定観念や慣習で必要だと思い込まされていただけのものだと気づかされる。
この記事は土曜のお昼前に車を吹いて気分が良くなり、
自宅の庭に机と椅子を置いて何か記事でも書こうと書き出したものだ。
いわば即席簡易オフィスから書いている。
天気は比較的良くて、外の風が心地よいし、すぐ近くに山から鳥の声が朝から晩まで聴こえてくる。
家の前を通り過ぎるおっちゃんの
「あ~っふわぁっ」とか「うぇっくしょん」という掛け声が時に混じるが、
まぁ仕方ないと目をつむれる。
田舎暮らしが好きなわけではなかったが、住んでみると楽で心地よい。
特に子供がまだ6つと3つなので子育ての面からも、
大きな家でも比較的安く買えて、体を動かしたり遊ぶスペースのとれる田舎はいい。
都会である程度の広さの家を求めるとかなりの収入がないと厳しいし、
小さな子供が伸び伸びと遊ぶスペースを見つけるのは難しいし、
たいていはお金を払わないと遊べないように設計されている。
しかし田舎なら年収数千万円でも何不自由のない暮らしができる。
退屈、という二文字が付きまというのは玉に瑕だが、
補って余りある生活の余裕と自由がある。
僕はすべての人にフリーランスや田舎暮らしを勧めるめるわけではないが、
あきらかに都会で疲弊してる人がいることを知っているし、
実際に周囲にもいて、見ているこっちが疲れてくることもある。
ときどき東京に呼び出されたり、都会で仕事すると
情報や仕事が速く済み、報酬も高いことに驚かされる。
街はきれいだし、最先端のものが容易に手に入る。(お金があれば、の話だが)
都会にしがみつく理由もわからなくはない。
ただ、失うものの方が多いという印象をぬぐえない。
失うものというのは、時間とお金だ。
都会行けば情報も早く仕事も早く時間が手に入ったと勘違いしがちだが、
じつは頭に入る情報の量が増えれば増えるほど、その人の時間は奪われていく、
入った情報は何らかの形で処理しなくてはいけないから、脳や体が疲れる。
疲れた脳や体をいやすためにまた別のサービスを受けなくてはいけない。
つまり、またお金がかかるのだ。
都会のサラリーマンは田舎のサラリーマンより収入が高い、
これはデータに現れているから実際そうなんだろう。
ただ、僕のような仕事の場所を問わないフリーランスに限って言うと
田舎にいた方が手残りは多くなる。
その理由は生活コストが安くて済む。
またストレスが少なく先ほど書いたような不要なサービスを受けなくて済むこと。
子供のころから自由にあこがれていた。
忙しいのはクリスマスシーズンの冬だけ、
あとは家でのんびりしたり、自由に世界を旅したり、
ずっとサンタクロースのような生活がしたかった。
まさか自分がそんな自由を叶えられるとは夢にも思っていなかったけれど、
夢にも思っていない夢が現実になった。
さて、次は何を書こうか?
世界一自由な代筆屋